ネットサーフィンをしていたら、以下の記事を見つけました。
読んでみて、なるほど!と思いましたね。
確かに、無意識に知能(才能)をほめていたかも…
一方で、記事を鵜吞みにせず、反対の意見を考えることも大切です。
良い面、悪い面の両方を考えていこう。
子供の才能をほめてはダメな理由
記事内にまとめられてはいますが、まずは子供の才能をほめてはダメな理由からです。
才能をほめられると、
- 「できた」という結果がほめられたことになり、「できない」ことを避けるようになる
- そのため、難しいことへのチャレンジよりも、簡単なことをして「できた」を作り出す
- すると、不思議なことに、元々できていたことが、できなくなっていく…
このようなところでしょうか。
記事内の言葉を引用すると「真の学習を避けて、簡単な課題達成を求めるよう促してしまう」ということでしょう。
要するに、成長しないってことですね。
なるほど、わかります。
子供は大人にほめられたい
記事を読んでいて、「そもそも子供は大人にほめられたい」ということが根本になっているなと感じました。
いわゆる、「承認欲求」ですね。
今回の実験では、才能をほめられた子供は、ほめられ続けるために才能を発揮し続けようとします。
そのために、簡単な道(簡単なテスト)を選んだのだと思います。
一方で、努力をほめられた子供は、ほめられ続けるためにがんばろうとします。
難しいテストを選んだ理由はわかりませんが、「がんばる」という行為を続けたのだと思います。
親が何をほめるかによって、子供の行動が変わってくるんですねぇ。
才能をほめることによる良い影響
ここからが本番です。
じゃあ、才能をほめることはダメなのか…
と言うと、そうでもないと思います。
周囲から才能をほめられたとしましょう。どう思いますか?
「そ、そんなことないよ」と言いながら、内心「え、そうかな。才能あるのかな…」と思いませんか。
はい、私です。
一体これの何が良いのかというと、「自身の才能を認識できる」という点がすばらしいのです。
人間は、短所には敏感で認識しやすいのですが、長所には意外と気が付かないものです。
それは、人間は本来ネガティブ思考をする生き物だからです。
(楽観主義では生き残れませんからね)
才能を認識すると、その才能を更に伸ばそうとしたり、他方に活かそうとします。
良い効果ですよね。
(私の大好きな)漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」に登場するDIOという敵がいるのですが、最初は自分の能力(才能)を自覚していませんでした。
しかし、エンヤ婆という老人に以下のことを言われ、どんどん能力を開花させていきました。
「もっと!もっと!静止した時の中を動けると思いなしゃれッ!空気を吸って吐くことのように!HBの鉛筆をベキッ!とへし折ることと同じようにッ、できて当然と思うことですじゃ!大切なのは「認識」することですじゃ!」
ジョジョの奇妙な冒険
HPの鉛筆をへし折ることが当然かはさておき、すばらしい名言です。
認識することが更なる高みを目指すキッカケになります。
努力と才能は比較できない?
努力と才能について、もう少し考えてみます。
才能とは「うまくできる能力」のことです。
生まれ持った能力だけでなく、後から努力して身につけた能力も、才能です。
努力というプロセスを経て、才能という結果を生み出す
努力は「プロセス」、才能は「結果」という関係なんです。
これを見ると、努力と才能はつながっており、どちらも成長するためには大切な要素です。
努力の方が良くて、才能の方が悪い…というわけではないと思います。
才能はほめるべきか?
結局、才能はほめてもいいの?悪いの?と思いますよね。
私は、才能はほめてもいいと思います。
ただし、才能だけではなく、努力とセットでほめます。
子供は、努力をほめられることで一層努力し、才能をほめられることでまた結果を出そうと努力する。
このサイクルが最もいいんじゃないかなと思います。
そのためには、努力と才能の両方をほめることが大切です。
テストで良い点を取ったり、上手に絵が描けた!と思ったとき、誰かにほめられたいと思うじゃないですか。
子供の承認欲求を満たすためにも、才能もほめてあげたいですね。
でも、才能ばっかりほめるのはNGだよってことで、まとめたいと思います。
結局は、何事もバランスが大切なんだなぁと思いますね。